十月になりました

こんばんは

もうすぐ「犬にしても」のリリースから一年です。
早いものです。

10才の頃は20才が遠かったけど、20才からの30才はあっという間でした。
姿もあまり変わりませんし、考えてることもあまり変わりがないように感じます。
やれることが増えたというよりかは、やることが増えたという感じで、
むしろやれないことは昔よりも増えた気がします。
やれないことが分かって、少しずつ自分という人間の形をはっきりと捉えることが出来るようになった気がしますが、それもどうだかわかりません。


年の離れた友人から電話がありました。
元気そうな声が聞こえて、近々うちに遊びに来るそうだから色々と話が出来たら嬉しい。
彼と話す時、未だに僕はどんな人間でいたらいいのか分かりません。
どんな人間でいられるかも分かりません。
ただ、上手に話を聞いてあげられたら良いなとだけいつも思っています。

最近、興味のある機材のことをインターネットで調べていたら日本のサイトだけでは足りなくなることが多くなってきました。
そしてアメリカに思いを馳せます。
グーグルマップで目当てのショップの位置にマークをつけて、自分の家からの距離を測ります。
その気になれば丸二日もあれば辿り着けるでしょう。

そしてサンフランシスコの友人を思います。
フェイスブックからメッセージを送ります。
話したいことは沢山あるけど英語は得意でないので言葉はどれもとても簡単なものになってしまいます。
「sounds good」
僕も真似をして同じ言葉で返します。

とりあえず
今 どこで 何をしてるかだけ聞ければ僕たちが繋がっている意味はあると思います。
元気そうで何よりでした。

「元気でいることじゃな」
年の離れた友人が言ってくれたことがあります。
言葉だけじゃなく、住む町と時代が人と人の関係を決めることもあるかもしれません。
毎日フェイスブックで繋がっていても、一本の電話にかなわないこともあり
一本の電話よりも、ひととき合って話すことが大事なこともあり
会って話さなくとも、一枚の写真が時間も越えて繋ぐこともあるかもしれないなと思います。