4/9 北の遊撃手(宮城)

3日目
宮城 栗原 ねこの森雑貨店

今回のフライヤーのデザインは店主のちえみさんの旦那さんがしてくれたのです。



タイポグラフィが効いてます。
高橋さん





こちら 1F ねこの森。
大きな一軒家の一階部分がお店になってました。
NEW TELEPORTATION2があります。






犬。




以下周辺の様子です。




楽器屋さんの跡地があり、その話を店主の高橋さんの旦那さんにしたら「時間があったら近くのリサイクルショップ回りたかったです」と言われ、「俺も行きたかったよ、、」と思いました。

この辺りには道幅の広い通りがあり、夏になると神輿の様なものを担いだ祭りですごく賑わうのだという話です。
良いですね。
古い商店街に若い人たちがちらほらおしゃれな店をやっているという不思議な街でした。
そんな若いお店の人たち同士仲良くしているそうで、近所の人たちもライブに遊びに来てくれてました。



ライブは2Fの部屋。
ここでライブイベントをするのはこの日が初めてということでした。
貴重な1回目、ありがとうございました。



子供もいっぱいいてかなりハートフルな空間でした。

ちえみさんが air check が好きっていうことだったので今回のツアーでは数年ぶりに自分で歌いました。
この曲にはちょっと苦手な意識があって自分では歌えていなかったのですが、時は経ているのですね。そう感じながらやってきました。

経ているといえば、
いまだに「恋する団地」を良い曲だという風に言ってもらえて、それはとても嬉しいのですが、正直自分はこの曲を歌っていて自分の心にしっくりきたことってそんなに多くはないんですよね。
自分なりに答えは見えているのですが、諦めきれないですよね。自分の曲だから。
まぁ、ものすごく細かい話なんですけど、いつか心がコチコチに固まってどうでも良くなる前に満足を達成できたら良いなと思ってます。
そういう問題、ずっと抱えているんですけど良い加減どうにかしないとなと思ってます。






というわけで、遊撃手のリリースツアー東北終了しました。
って、もはやかなり前のことに感じますね。
こういうのってその日のうちに書いたほうがいいんでしょうね。今の場合特に。そういうのは自分には難しいですけどね。



今回もめちゃめちゃ人の好意に触れました。
今作の「遊撃手」が好きって言ってくれる人とはかなり仲良くなれる感じがしますね。
まぁ当たり前っちゃ当たり前だけど、今までの作品の時よりも今回はさらにそう思います。

今回出不精な自分がツアーやっいるのは、プロモーション的なことというよりも東京外の人と音楽の様子が知りたいと思ったからです。

関西のスピード感や温度。
九州のそれ。東北のそれ。
全部違った感じがしました。

世界と繋がっていると見せかけて、そんなこともなく、結局地域で暮らしているなということの方が自分には強く感じられましたね。
というわけで、ここは東京エリア。
俺は、東京の人。
ミーハーはキャッチーだけど、キャッチーだけで立体は生まれない。そして俺は立体的なものが好き。


しかし、帰って来て正直ホッとするんですよね。人が多くて。
人混みはキャッチーですね。
生まれた時からそうでしたから。俺はキャッチーなものが好き。

まぁ、人混みっていうか、常に誰かが見てくれている街で育ったので。
30年前の光が丘団地はそういう場所でした。若い家族が多かったんだと思います。

残念ながら今はもう猪爪の家もそこにはないし、幼馴染との交流もそんなにないから地元に帰る理由がなくなってしまいましたけど。でも大人だから大丈夫。
たまにはただいまと帰る場所があるといいんだけどな、なんて考えると寂しい気持ちになりますけど。

自分も大人になるし、親もおじいちゃんやおばあちゃんになります。
人によっては人の親になり、そういった種のエネルギーに満ちていきます。見ているといいなーと思います。
自分にはまだその感覚はないのだけれど、音楽をしていて、似た感覚を持つことがあります。
若い人たちが次々と登場するので、自分の持っているものを少しずつ分けていきたいとも思っています。
「いらない」なんて言うなよな。結構おもろいよ。俺。
まあ、難しいんですけどね。ドントトラストオーバーサーティーですからね。

そんなことを考え始めている自分に気付いた時、生まれて初めて時の流れの速さを感じて、つまり、「死」を意識したのですが。
その他でも近年、経ていけばいくほど考えることが多く「遊撃手」という作品を作るに至りました。
インディー というものに少なからず自分なりのイメージを持っていた自分は、自分の価値観に「死」を与えました。
自覚的にも、無自覚的にも、時代の流れに身を置くことがうまくできない俺たちは揃いも揃ってばか。

だからってこの先が全てゾンビのしでかすことだと思ってはいなくて、かと言ってもはや夢を持って無邪気に取り組むだけではいられなくなって、これから俺は悲しい気持ちを豊かな気持ちに変換する能力を向上させていかなければならない。
この自覚を「大人であることの定義」の一つとしようと思います。
生きている限り、あらゆることの減衰は続きます。
これからの生きがいに破壊ではなく、繋いでいくことを追加しようと思います。

生産は、多分無理だな。俺の場合。
そして、現在の時流に身を置くことに自分の生きがいを見つけることはこの先も無いと思います。
たとえそれがいつか完全な「おじさんのロック」になったとしても、豊かなものであり続けようと思います。


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最近の話。

アレックスリリーの来日サポートで初日やなぎさわまちこ、2日目ayU tokiOとご一緒しました。

変わらないことの悲しさと、若者の成長のスピードなど、思うことが沢山ありました。
スリーのゆうくんは、割と近くで見ている俺から見ても変化していくのが分かる、珍しいタイプの人間だと思います。もう随分いい歳なのにね。
本当に尊敬します。スリーは今、いい場所だなと俺は思います。


たまには余計な荷物を降ろして、違う景色を見たりして、旅してみるもんですね。

遊撃手ツアーありがとうございました!

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