#4 スガナミユウ (LIVEHAUS, GORO GOLO, MOOS, OCHA∞ME, ex-MAHOΩ )



The End (NEW TELEPORTATION)
air ckeck (恋する団地)
犬にしても (犬にしても)
大ばか (遊撃手)
Song For Insane Times (みらべる)

-Other track-
MAHOΩ / 僕らに愛を (摩訶不思戯EP)
COMMiTMENTS / 2010.08.26 live at 早稲田 ZONE-B



あゆくんを初めて目撃したのは2010年8月26日、早稲田ZONE-Bでした。当時彼がやっていたストレンジポップパンクバンド”COMMiTMENTS”の解散ライブイベント。

私は、ライブのフライヤーを配りにたまたま行ったライブでした。

あゆくんはバンドのギタリストでした。

私の記憶が正しければ、最後の曲になり、MCでこれまでの感謝を述べたあとに、あゆくんが歌い出しました。

それまでに演っていた曲は英語詞で、その曲は、切々と日本語で歌われていて胸に残りました。同時に、この人はこれから沢山の良い曲を作るのだろうなと感じました。


その後、数ヶ月後には、MAHOΩというカルトポップバンドを一緒に始めていました。


MAHOΩで、あゆくんが最初に書いてきた曲が『僕らに愛を』でした。

ラムのラブソングに代表されるような、80’sアニメフレイバー溢れる完成度の高い楽曲に驚きました。


互いに小さなパンクコミュニティが出自なのもあり、MAHOΩが作り出した捉えようのない異物感には、これまでの感覚とは違った手応えを感じていました。

私たちはその収まりの悪さや異物感を楽しんでいました。



そう、あゆくんは、ずっと、収まりが悪いのかもしれません。

ayU tokiOの初期、パンクのライブのイベントに、弦楽器とフルートを含んだ編成で臨んでいて衝撃を受けました。


あゆくんは、3コードを鳴らす衝動と、弦の譜面を書く衝動が同列なんだ。最高!と思いました。


『恋する団地』がリリースされた当時、シティポップの旗手として紹介をされていたことにあゆくんは違和感を口にしていました。


マーケットにおける音楽作品の消費の速さを危惧していました。

そこに抗うように、あゆくんは自主レーベルCOMPLEXを立ち上げ、今日まで素晴らしい音楽作品を沢山の音楽家と作ってきました。

私が店長を務めているライブハウス『LIVE HAUS』の立ち上げにおいて、ドラムやアンプ類の選定・メンテナンスをお願いしたのもあゆくんでした。


あゆくんは、音楽家や音楽に関わる様々な人々、楽器・録音機器に至るまで、ひとりひとり、ひとつひとつが持つストーリーや背景を大切に作品を創り上げていく稀有な存在だと思います。

先日あゆくんが立ち上げたスタジオ、『日野音楽室 第Ⅲ』についても、あゆくんの音楽観が凝縮された場所になるのだろうと想像して、とても楽しみです。

あゆくんは、生涯の友であり、私のことを音楽家として評価してくれる大切な音楽仲間です。

そして、若き日の自分たちの未熟さや、日々の心配を語り合える友です。


ayU tokiOのこれまでの作品群がサブスクリプションサービスで解禁されます。

あゆくんが産み落とした音楽が世界中の人々に届くことを祈っています。


スガナミユウ


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ゆうくんが言ってくれた言葉で本当に嬉しかったのが「あゆくんの才能は俺が見つけたことにしていい?」ってやつなんですけど、こんなこと言われたらやっぱり嬉しいよな。

the commitmentsの最後のライブの時にふらっとやってきて終わってからいきなり挨拶をされたのがゆうくんとの出会いだったんですけど、「めっちゃ良かったです」とギラッとした目で言われて、そのときは「ヤベーやつきたな」と思ってビビっちゃったんですが少し話をすると自分が大好きだったgorogoloの人だとわかってすぐに心を許しました。
褒められるよりも褒めてたいです。その方がずっと楽しい。というか楽。


その後、同時期に千秋たちとやってたACC Jr.を音楽前夜者本公演に呼んでくれて、出た時にMAHOΩってバンドが出ていて、生意気にも「曲がいいからすぐにバンドにした方がいい」と進言したら「あゆくんドラムやってくれない?」となりました。
その頭の回転の速さというか、大胆さ・楽しさがゆうくんなんだよね。

僕は日本語詞は絶対に自分には書けないと思っていたけど、マホーをやる中で「僕らに愛を」「乙女のたしなみ」「狐の嫁入り」「恋する団地」「米農家の娘だから」「夜を照らせ」「メビウスの輪」「大・恋・愛」などを書きましたが、これは全部ゆうくんの気持ちのいいプロデュースのおかげだったとしか言いようがないと思います。

とにかく人を褒めることが本当に得意で、僕が心を許してのびのび(「全力」とも違う)と音楽を作ることを全部手放しで肯定してくれた友人。

マホーがなくなる時に僕が最も悲しかったことの一つは、この力を失うことだったのですが、ゆうくんはそのことに全然気づいていなかったと思います。そして、そのことがとても悲しかった。
自分は基本的に、誰かに褒められてもそれを素直に良しとできないのですが、ゆうくんの「良い」という言葉には僕にとって魔法的な何かがあったんだと思います。


ゆうくんが作る曲からは、どうしても自分からは出てこないなと思える「土地」を感じさせるものがあって、それがすごく日本的だと思えるからゆうくんは世界的な変な人なんだろうなと思います。(マホーの「未知語未知絵」、MOOSの「アースクエイク」)
ゆうくんはそのことにも自覚がないように思えるけど、僕が彼に対して全面的に信頼を置いている部分はきっとこの辺りから滲んでくるものなんだと思います。

そういう音楽をもっとたくさん出して欲しいなと思います。とかいいつつ、ゆうくんのやってることは大体好きなので全部応援してます。


この10年いろいろやってきたゆうくんがライブハウスを作るってなって、コロナがきて、他の大きな動きの中に身を投じているゆうくんが今はいるけど、
僕はゆうくんはたくさんの人を助けるために生まれてきた救世主ではなく、個人として表現することで身近な人間を強く肯定することのできる人間だということを感じて知っています。
そして、このローカルさこそが何よりも優れた政治の根本であり、人の暮らしに最も必要なことだと考えます。
ゆうくんが教えてくれたことです。
疲れた時、迷った時、少しだけ力を貸せるようになったと思うから(金は、無い)、たまには気持ちを聞かせてよね。


自分にないものをいっぱい持っていて、自分は妬むこと(「不理解に嘆くこと」とも言い換えられる)もせず、素直に面白いし良いなと思っていられる大好きな友人。

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