#6 矢島和義 (ココナッツディスク吉祥寺)
1.my room『new teleportation1
youtubeにアップされていた、パンクバンドばかり出るイベントでマッシュルームカットでVネックのセーターを着て管や弦もいる大所帯を従えて歌う姿を見てこの人の音楽を自分の店に並べたい、と思った。
2.恋する団地『恋する団地』
2010年代のいわゆる“東京インディー”屈指の名曲。「21世紀の世界はこんなに素敵さ」という歌詞に今はちょっと胸がキュッとなる。10年後、20年後に聴いた時どんな気持ちがするのだろう。
3.夜を照らせ『恋する団地』
ネオ渋谷系とか興味ないよ、なんて話をしたらアユ君は悲しい顔になった。いやいや、かつての渋谷系好きだった俺が今聴きたいのはこういうポップスだよ、アユ君!
4.米農家の娘だから『新たなる解(2016)』
3.11後の世界をこんな風に歌にするんだ、と驚いた。視点、視線の優しさ。ayU tokiOはあの頃周りの誰より大人だったんだと思うし、自分もこの曲でずいぶん成長させてもらった。
5.大ばか『遊撃手』
今朝、バスの中で聴いてたら泣きそうになって困った。こういういい曲をこれからもずっと作ってね。
はじめのカセットテープシリーズ『NEW TELEPORTATION』の頃からお世話になっているココナッツディスクの吉祥寺店矢島店長。
会って話すとわりかしそっけない態度を取るので何を考えているのかいまいち掴めずにいますが、このコメントには言葉を失いました。ありがたい。
僕は素直に人を信用することのできない愚か者です。近しい人にさえ、ここまで言われなければ本心に触れた気にもなれない。
これまでのいくつもの時代を一緒に見てきてくれた人には、もっと心を預けられるようになろう。
矢島さん、ありがとうございます。
矢島選、5曲全部に触れたいんですけど、特に記憶が蘇るのは2011年前後の頃のこと。
MAHOΩをやっている最中に3.11の地震が起きて、東北出身のメンバーがとても大変そうだったのを覚えています。
「そうなのか」と。
東京出身、それまでも震災などの経験もない自分にとって、そんな「当事者」の気持ちを深く知ることもできず、そんな中でも衣食住に安心できている自分は、「こういうものか」と。
様々な思いを募らせながら日々を過ごして、次第に胸が苦しくなっていってる事にさえ、自分自身気づいてもいませんでした。
更に、
テレビを見ていても同じCMしか流れない異常な状態になって、日々SNSなどから流れ込んでくる沢山の情報に、
「そうなのか」と。
生まれたばかりだった甥のために訳もわからず水を買いに出たり、次々に登場する新しい単語を当然のように受け入れていく日々にも「こういうものか」と。
次第に人々の悲しみや怒りの矛先がキーワードと共に具体的になればなるほど、文字の上ではむしろ具体性を失ってきている様に思えて、
情報にしろ感情にしろ本当のことが一つもわからなくなってきた頃、
「よくわからないけど、怖い」
と、素直な気持ちを吐露している知り合いの画家の人がいて、とても共感しました。
大変な時に何か特別な行動を起こすことも、人の役に立ちそうなアイデアもなく、
そもそも、その志や気持ちを抱くことさえちゃんと出来ない自分を心底情けなく思ったけど、
そんな自分の正体を「どういうものか」きちんと知ることが出来た気がして涙が出ました。
沢山の言葉を聞きすぎると「どういうものか」わからなくなっちゃうものです。「そういうもの」なんだと、今は言える。
他人の悲しみと、自分の悲しみと、日々の安心を受け入れる自分への悲しみと。そのほかにも沢山の気持ちがあったと思います。
忘れてないけど、思い出せない。
涙は、そのほかの沢山の言葉にならない気持ちをいっぱい乗せてぽたぽた落ちる。「そういうもの」なんだと、今は言える。
周りでも沢山の言葉で意思を表すことができる人がいて、そういう人が周りにいる時には黙ってしまう人もいて、そんな人がほんの少し言葉を話す時には耳を向けられる様に。「そういうもの」を大事にしなきゃ。
そんな気持ちで書いたのが「米農家の娘だから」という曲です。
自分の尊重する視点や価値観が世界の全てだとは思っていませんが、
「言葉になる前」の、立ち止まってじっくりと考える時間にのみ宿る「愛に似たもの」は確かにあると思います。
誰かが少し、何かの大きなきっかけになる様な。
この歌を好いてもらえるのはすごく嬉しい。これは僕の精一杯の愛の歌です。
と、素直な気持ちを吐露している知り合いの画家の人がいて、とても共感しました。
大変な時に何か特別な行動を起こすことも、人の役に立ちそうなアイデアもなく、
そもそも、その志や気持ちを抱くことさえちゃんと出来ない自分を心底情けなく思ったけど、
そんな自分の正体を「どういうものか」きちんと知ることが出来た気がして涙が出ました。
沢山の言葉を聞きすぎると「どういうものか」わからなくなっちゃうものです。「そういうもの」なんだと、今は言える。
他人の悲しみと、自分の悲しみと、日々の安心を受け入れる自分への悲しみと。そのほかにも沢山の気持ちがあったと思います。
忘れてないけど、思い出せない。
涙は、そのほかの沢山の言葉にならない気持ちをいっぱい乗せてぽたぽた落ちる。「そういうもの」なんだと、今は言える。
周りでも沢山の言葉で意思を表すことができる人がいて、そういう人が周りにいる時には黙ってしまう人もいて、そんな人がほんの少し言葉を話す時には耳を向けられる様に。「そういうもの」を大事にしなきゃ。
そんな気持ちで書いたのが「米農家の娘だから」という曲です。
自分の尊重する視点や価値観が世界の全てだとは思っていませんが、
「言葉になる前」の、立ち止まってじっくりと考える時間にのみ宿る「愛に似たもの」は確かにあると思います。
誰かが少し、何かの大きなきっかけになる様な。
この歌を好いてもらえるのはすごく嬉しい。これは僕の精一杯の愛の歌です。
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