#9 下村亮介 (the chef cooks me)
・狐の嫁入り
東風くんとよく一緒に遊んだり、音楽を作っていた頃に聴かせてもらった楽曲なので強く印象に残ってます。当初東風くんご歌う予定でなかった曲だったと思うのですが、その当時から「このまま東風くんに歌って欲しいなー」と思っていたので正式に音源として聴けた時とっても嬉しかったです。
・四季に歌えば
上の頃の時期。自分が主宰している "the chef cooks me"という音楽プロジェクト(当時バンド)に東風くんはメンバーとして参加してくれていました。スタジオに篭りながら数曲一緒に作った思い出は未だに楽しかった思い出です。その中でも自分の高校生から当時までの音楽とともに歩んできた話を伝えて、あっという間に歌詞を書き上げてくれたこの歌は掛け値なしに彼の傑作の一つだと思っています。
・九月の雨
疾風のようにthe chef cooks meを去っていった東風くんはソロ活動をはじめてから2年後に発表されたスタジオアルバム。アナログリリースおめでとうございます!!この作品を簡単に言葉で表すとしたら「愛と苦悩と執念」である。少し意地悪な表現かもしれないけど、「そんなに簡単にわかってたまるか」と全くこの作品に関わってない自分がちょっと語気強めでレコメンドさせて頂きます。特にこの曲はちょっと並外れてる。日本だけでなく世界中の音楽好きに届いて欲しいなと切に思っています。
・大ばか
その2年後にリリースされたスタジオアルバムより。明らかなモードチェンジが一聴してわかるのだけど、当時この曲を聴いた時に自分の大好きな"猪爪東風"ってこういうことだったなと腑に落ちた記憶がある。言葉一つ、メロディを一節、鍵盤楽器の音色、ファズギターの音一つとっても、出会った頃の東風くんがそのまま聴こえてくるよう。僕にとっては彼の代表曲の一つです。
・約束
2020年にリリースされたSaToAとのスプリットアルバムより。この作品は2020年の世の中が一番不安で包まれていた時期に出会ったのもあって、当時ふわっと救われたことを思い出す。特にこの曲は大ばかにも繋がる"猪爪東風感"が自分の中にはあるんだけど、涼やかだけど温もりいっぱいに抱き止めてくれる感触というか。
「義理と人情なら とにかく任せてよ」
そうだよね、東風くんって未だにそういう人です。
これからもよろしくね!
-----
しもりょーさんはMAHOΩと同時期に参加していたthe chef cooks meのリーダー。
初めて彼らのライブを見たのはまちこの参加していたwiennersが対バンしていたのを見た時だったと思います。2009~10年くらいかな。
その時はthe chef cooks me bandという名前で活動している時で、バンドのメンバー4~5人プラスホーンセクションやコーラスのサポートメンバーを加えての11人編成だったかな。
それまでライブハウスで見てきたどのライブよりもクオリティがハイパー過ぎてビビりまくりました。
その時々でしもりょーさんの趣味の向く方向がコロコロ変わる気がするのですが、その都度楽曲を仕上げて突き進む様は、側から見て何が起きているんだかよくわからない感じで、ただただこのバンドには感心するしかなかったけど、特にこの時期のシェフのライブの熱気は異様だったなと思います。
そして、「大所帯」(化する)のバンドってこの数年後にめっちゃいっぱい出てくるんだけど、シェフは圧倒的にその動きが早かったなと思います。そういうところもすごいなって思ってる。
ある時、楽器の修理人としてライブ会場に行った先で再び彼らのライブを見ることになり、楽屋で挨拶を交わした時、当時のギタリストだったニーチェさんとギターの会話をしたのが初めて彼らとコンタクトした日だったと思います。
生意気にも話しかけた自分に気さくに対応してくれる人柄の良さに感激。
その後、僕がwiennersのライブにギターでゲスト参加した時に、演奏を見たしもりょーさんが連絡をくれて会うことになり、
僕がリペアの作業場として間借りしていた工房まで遊びにきてくれて、ずいぶん長いこと話した。
あー、だんだんと思い出してきた。
しもりょーさんはケーキを買ってきてくれて、「一緒に食べよう」と。なんかそういうところもいいなって思う。
音楽の話なんかを一生懸命して、面白がってくれて「僕をバンドに迎えたい」と。
なんのキャリアもない様な自分をこれまで「サポート」でしか迎えていなかったポジションに「メンバー」として加えるっていうのはどういうことなのかな と考えたりしましたが、やるだけやってみようと思って飛び込みました。
しもりょーさんやメンバーのみんなは「対等」な感じをかもしてくれていたけど、僕は1000%弟の気持ちでいました。尊敬の気持ちを変える気は一つもありませんでしたし、きっとこの先もそんな感じでしょう。
そして、その後のシェフを見ていても思うけど、しもりょーさんの「起用力」はこれまで出会ってきた人間の中でもトップレベルだなと思っています。僕も思いっきりプロデュースされたわけです。感謝しかないです。
それからの数ヶ月間、シェフでの活動の中で見たしもりょーさんの姿は「リーダーのあり方」の様なものの指標の一つとなっています。
そしてしもりょーさんは、そこの部分での自身の特殊性をあまり高く見積もっていない様子なんだけど、本当にそういうところもすごいなって思ってる。
一方でMAHOΩの活動も次第に活性化してきていて、編成も代わり、自分はドラマーからギタリストに。
ゆうくんと一緒にメインソングライターの一人として、「リーダー」ということでじゅんじゅんさんやゆうくんと共に窓口の一つも任されることになり、この時期はそれまでの自分の人生では経験がないくらい忙しい日々になっていました。
シェフの活動もぐんぐんと活性化して、新曲を作って(作り始めると異様な速さで曲が出来上がって本当に魔法の様だと思った。)
シェフの音楽も活動もメンバーのみんなも本当に大好きだったけど、しもりょーさんが自分に見せてくれていた様にMAHOΩの活動で僕はリーダーを努めていかなければいけないだろうと思い、ほんの短い間でしたがシェフを離れることにしました。
この時、しもりょーさんにもメンバーにもとても悪いことをしてしまったと思っていますが、僕のことを手放す時のしもりょーさんも最後までずっと優しかったことは一生忘れないと思います。
その後、結局すぐにMAHOΩは解散してしまって、
とても情けない気持ちになり、合わす顔がないと思いました。
その年の秋くらいにリリースされたKONCOSとの共作曲に「間の季節」というのがあって、これを聞いた時の気持ちも一生忘れないと思います。この時ほど救われた気持ちにはそれまでもそれからも経験が無いです。
大所帯の面白さへのアイデアと、手つかずの楽曲を一気に形にすることから始めたayU tokiOも気づいたら10年やってきました。
それからもことあるごとに考え事をしたら相談の電話をしたり、
先輩後輩の関係はきっと一生平行して、そのまま。そのままでいてほしい。
これからも一生ずっと大事な兄貴でいてほしい。
今年こそ大会場、2マンでのライブがしたい。
コメント
コメントを投稿