#16 澤部渡 (スカート)
“恋する団地”
2010年代の東京インディーシーンのようなものがもし本当にあったのなら、それを象徴する1曲だと思います。ロック的でもあり、なによりポップであろうするその姿勢にシビれまくった今なお色褪せない名曲。
“乙女のたしなみ”
『新たなる解』は名盤です。まだ知らない未来に2016年という年はきっとスカートの『CALL』、Magic, Drums &Loveの『Love De Lux』、そして『新たなる解』が出た年、と認識されているだろう。『泰安洋行』が、『CIRCUS TOWN』が、『Gray Skies』が、『FLAPPER』がそうであるように。そしてその中でも特に攻撃力が強い1曲を。
“犬にしても”
歌われるメロディが異常なまでに強いのに確実に捻じくれまくってて「あゆくん、やりたいことやってるな!すげえぜ」と驚愕した曲です。
“hi-beam”
『遊撃手』はあゆくんが求道者として制作してきた成果が表れた1枚だと私は思っています。特にこの”hi-beam”での奇妙なドライヴ感を伴いながらも人ならざるものとしてのドラムの音は過去にはなかったもののような気がします。何回聴いても大いなるクエスチョンマークとその快楽があります。
“heart”
『みらべる』でのayU tokiOは前作『遊撃手』でのキマった部分を持ちながらもどこか力が抜けていて、そういうところが好きです。とにかく掛け値なしの名曲。
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澤部くんと出会ってからも随分と時間が経ちました。
2014年に『恋する団地』という曲を出した頃、「こんなにストレートにpopsやって良いんだ と思った」というようなことを言ってくれたのを覚えています。
少しだけ曲のことを話しますが、
「恋する団地」という曲は昔のバンドでお世話になりかけてたレーベルの人から「名刺がわりになるようなシングルの曲を」と言われて作ったものでした。
サビから始まる曲に、aメロはシンプルに、bメロは短く展開を大きくつけて、サビに向けて大胆に。
メロディが上がったり下がったりと難しい~曲が出来上がりました◎
長く暮らしていた実家のある光が丘団地から出るタイミングだったのでおよそ30年分の気分を詰め込んでます。
「恋する団地」を作っていた当時の本当にささやかな記憶なんですけど、
僕には姉がいて、旦那さんと一緒に暮らすことになって支度をして家を出ていく時、僕は母親と一緒に出ていくのを見送ったんですが、その時のあまりの呆気なさがかえってとても寂しく感じられました。
「じゃあね」とか、そのくらいのことを言って普通に出かけるようにして扉を開けて小さい荷物だけ持って出ていったと記憶していますけど、「お姉ちゃん今日からもう帰ってこない」という気持ちは何とも言えないものでした。
ちなみに姉は歳が7つ上で、僕には他にも歳が5つ上の兄がいます。
兄についてはまたどっかで話すと思います。
姉兄には何かと相手にされなかったり、おもちゃにされたり(小さい頃まぶたにタイガーバームを塗られたりしてました。)嫌な思い出が多いですけど、助けてくれる時の絶対的な信頼は多分ずっと変わらないんだと思います。
変わらないものは無い ということへのその後の気づきを決定的に予感させた姉の引っ越しでしたが、
その後彼女が下の子を出産をしたときに「変化」には「別れ」だけでなく「出会い」もあることを思いました。
甥の名前はひなたと言います。
ひなたが赤ちゃんの時はしょっちゅう実家に預かったりしてたので、2,3歳位の時は嗚咽を漏らすほど笑わせて可愛がりましたが、彼も気がつけばもう中学生。あんなにゲラでチョロかったのに。
もう中学生です。最近スマホ買ってもらったそうで、LINE出来るようになりました。
ずっと変わらないはずの景色が変わっていってしまう前に、曲を残せてよかったなと思います。
「お別れ」は「POP」ということ。
同世代の澤部くん。
詳しく聞いたわけじゃないけど、なんとなく近しい育ちなのかな、と思っています。
住環境が育むemoってのがあります。 あるとして、です。
それが全く同じ形ではなくても、どこかの誰かが似たような気持ちでキャッチしてくれたりするからとても不思議です。
単純に「pops」とか「音楽」で片付けるには惜しいくらいのemo。
育っていることを自覚することが何より大事なことと思います。
なんにせよ練馬・板橋エリアの90sについて、いつか澤部くんとゆっくり話したいよ。
あと、2016年の『新たなる解』のリリースをしたときにも、よく褒めてくれたのは忘れていません。
誰かが褒めてくれるというのは力になります。なりました!ありがとう!
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