#25 平澤直孝



1

NEW TELEPORTATION

commitments

僕がayU tokiOを知ったのがこのカセットでした

80年代~90年代のデモテープをカセットmtrで録ってそれをカセットテープで販売するという当時のインディスタイルを20世紀になって実践するアイデアに心底シビれた。


2

NEW TELEPORTATION 2

the end

更にnew tele~の楽曲を管弦楽を入れたバンドスタイルで再録音してバカラックスタイルにアレンジしそれをまたカセットテープでリリースするアイデアに心底愕然とした。これを聞いて柴田ちゃんの海へいこうかepをカセットテープmtrで録音しようと思った。


3

恋する団地

恋する団地

new~2のバンドスタイルで全曲新曲で今度はCDで録音したミニアルバム。まさにカセットから一気にCDに移行したインディシーンを再現したアルバム。この後にあゆくんと僕は池上で一軒家の二階を二人で借りることにした。


4

犬にしても

犬にしても

こうして共同生活の中からあゆくんの新曲をリリースしたいと言い出してできたのがこの曲。

あゆくんからベドリントンテリアの(犬種)の写真をジャケットにしたいからなんとかしてくれと言われ、探すのに苦労した。

この頃のあゆくんのアー写はエルトンジョンみたいでどうかと思った。


5

新たなる解

米農家の娘だから

この曲はとにかくpvが衝撃的だった。あゆくんがトラクターに乗って田んぼを往復してるだけの動画で、ミニマルの極地だと思った。


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ayUからの追加ナンバーでございます↓


6

BRIGHTYOUNG MOONLITKNIGHTS -We Can't Live Without a Rose- MOONRIDERS TRIBUTE ALBUM

ディスコ・ボーイ


7

鈴木博文 / どう? 

五月の牛


8

テンテンコ / ALL YOU NEED IS CAT ~猫こそはすべて

ねこの森には帰れない


9

太田貴子 / Voice of Angel

大・恋・愛 β 



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平澤さんはMAHOΩというバンドをやっていたとき、その活動の最後の方でメンバーのじゅんじゅんさんに紹介されて新宿で会ったのが最初でした。

なんの理由で会うことになったのかはよく覚えてないのですが、紙袋とビニール袋いっぱいにレコードやCDと何かの(本当に何のだったか分からない)紙の資料をいっぱいに詰めて新宿の道に佇んでいる平澤さんの姿を見て「かなりやばいな」と思ったのはよく覚えています。

喫茶店に入り、なんだか早口で自分の好きなものについて語る姿は典型的な「オタク」そのもので、圧力がものすごかった。

レコードが好きすぎの、奇人です。


多分、MAHOΩの音源をリリースしたいとかそういう話だったと思いますが、その頃のMAHOΩはリリースうんぬんの話の連続の中で消耗しきっていたので、平澤さんの話を受けることはなく、その後バンドは解散。


ここから自分はayU tokiOとして活動を始め、そこにも平澤さんの姿があったことに嬉しさを感じました。

音楽活動と芸能活動とポップカルチャーは似た様なところにあると思っていますが、構造も違うし醍醐味や楽しみのポイントも違います。

どれも否定などしませんが、自分は音楽を作りたいと思っていて、できればそのことに共感してくれる人と一緒にいたいといつも思っています。



ayU tokiOとしてはNEW TELEPORTATIONシリーズを作り終えた後くらい、僕が大塚のハモンスタジオを拠点に活動をしていた頃からの付き合いということです。

初めて僕に他者のレコーディングの仕事をさせてくれたのも平澤さんでした。

柴田聡子2013年作「海へ行こうかEP」では「NEW TELEPORTATIONみたいにカセットMTRで録音してほしい」という依頼だったのですが、ハードディスクのMTRでも録音していたのでそれも合わせて提案し、どちらもで一斉に録音を行い、それぞれ別のミックスに発展させ一つの作品にまとめるということになりました。変な作り方ですが、平澤さんもこういうことするの好きな人なのですぐに話が伝わってよかったです。


その後、新・チロリン2015年作のリミックス(「MIRAとお散歩」)、テンテンコちゃん2017年作の「ねこの森には帰れない」のアレンジとトラック制作(谷山浩子さんの曲のカバー)、その他色んなアーティストの制作仕事をくれたり、平澤さんがなりすレコードでアイドルのレコードを作る様になってからはその録音の手伝いなどを手伝ったりしました。

他にもちょこちょことディスクレビューやコメント寄せに文書を書く機会をくれたり、

ハモンスタジオがなくなってしまい困っているときに新たなリペア仕事のアトリエとしての場所を紹介してくれたり(池上、鈴木邸2階に2年ほど平澤さんと一緒にいました。)、鈴木博文さんとの作品制作(サウンドプロデュース)のきっかけをくれたり、クリィミー・マミ声優である太田貴子さんのアルバムのサウンドプロデュースの仕事をさせてくれたり、他にもいっぱいいろんなハッピーをくれた大恩人です。

僕に「サウンドプロデュース」というポジションを与えてくれたのは間違いなく平澤さんだと思います。

そういう、裏方の『面白さ』を知っている人なんだと思います。そういうところ、本当に最高だと思います。



しばしば失言の多い人で、食べ物の好き嫌いが多く、不衛生で変わり者です。

が、しかし、カルチャー全般の知識もモノづくりの情熱も凄まじく、商品を製造するまでの作業は非常にプロフェッショナルで丁寧です。とても尊敬しています。


リリース後の商品に対して責任を全うするパワーをもう少し持っていたら、本当に誰からも愛される最高のパーソンだと思うのですが、ど天然のアンバランス人間なので、割とすぐに失脚したりしてる気がします。

そして、時が立ちまた復帰 を繰り返します。

平澤さんはそういう人です。



ayU tokiOに関しては、

2014年恋する団地のリリースプロモーションを全体的に手伝ってくれて、

2015年犬にしてもはなりすレコードからのリリース。流通会社ウルトラバイブとの関係も取り付けてくれました。(ジャケットの犬に関しては、池上の図書館で借りた犬の図鑑を眺めていた時にいた変わった姿のの犬にピンときて、「この犬をジャケットにしたいから探してください」とお願いしたら数日後にはブリーダーさんを見つけてきてくれて無事に撮影することができました。感謝。)

2016年新たなる解はスペースシャワーでのリリースだったので、この頃は微妙に離れていましたが代わりに、

2017年鈴木博文「どう?」サウンドプロデュースなどayU tokiO他の活動の幅を持たせてくれたりし、

2018年遊撃手でのLPレコード、CD、カセット同寺3形態リリースはインディの夢ということで、大いに協力してくれました。(そのあとなりすでも加納エミリちゃんで同じことやってました。)

2019年にはみらべるのリリースをなりす・COMPLEX・kesäkuuta marketの3レーベル共同としてリリースし、

2020年には大田貴子さんの「Voice of Angel」のサウンドプロデュースを任せてくれて、ディレクターの平澤さんは糖尿病疾患でガッツリダウン。制作はバリバリに滞りましたが、その間は僕が色々頑張りました。

2021年には僕は病気の平澤さんのために可能エミリちゃんと共にドネーションCDを制作することになり「Sense of Life」をみなさんの多大な力添えを貰いリリースしました。

2022年には少しずつ復帰してきた平澤さんの様子を見つつ、映画に行ったりコンサートに行ったり、平澤さんが催した小規模なライブに出演したり。



そんな感じで今ではほぼ親戚みたいな感じだと思ってます。

感謝すべき点が多く、恩人であることは間違いないですが、とてつもない失態をしたりするのも平澤さんです。(病気は仕方ないです。)

幸福と不幸をごちゃ混ぜにした袋をどかっと持ってくる、そんな感じの人です。強烈で嫌で、強烈で最高です。

未だに、都度「僕のこと何だと思ってるんだろ」と思うことありますが、振り返ってみたら大体どの話も良い感じだったなと思います。

もう少し丁寧に説明してくれても良いな と思いますが、「さよならだけが人生だ」らしいので仕方ないです。


前に「ボクが死んだら骨でレコード針を作ってオフコースのレコードを流してほしい」と言われたことがあります。

単純にグロテスクなことをロマンチックな目で言ってきたのですが、やはり切なさは感じず、グロいなと思いました。

そんなこと言ってないで、健康に清らかに、人の暮らしを目指しましょう。


うまくいってもいかなくても、

健康でいてくれたらもうなんでも良いから、死ぬまで音楽のそばで一緒に遊びたいです。

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