#36 内村イタル (ゆうらん船)
出会いは2013年頃。
それまでは宅録経験のみで、バンド編成でのスタジオレコーディングの経験がなかった僕の最初期のソロ音源作品にバンマス、ディレクター、ギタリスト、、etc として携わってくれたのがあゆさんでした。
大塚ハモンスタジオでのあゆさんとの思い出の数々、、
リハやレコーディングのほかにも、一緒に色々お喋りをしたり、スタジオにいた猫のトロちゃんハモンちゃんを可愛がったり、スタジオ二階のあゆさんのリペア工房を見せてもらったり、帰り道ダイハツミゼットで新宿まで乗せてもらったり、まだデモ段階だった「狐の嫁入り」を聴かせてもらったり、MAHOΩやけんじさんの曲や話を聞かせてもらったり、ザ・ストラトのうなるアユさんギターソロをダビングしたり、スモークリングを見せてもらったり、泣いたり笑ったり、アイス食べたり、、、
そのような時間は、今でも僕の胸の中できらきらと輝く記憶です。
その後結成したゆうらん船にも度々力を貸してくれているあゆさんですが、
ayUtokiOのほかにも、レーベル運営をはじめとするバイタリティ溢れる活動の数々、
そして、それを司る彼の静かに燃える熱く激しいハートは、僕の心も熱く照らしてくれています。
あゆさん、いつもありがとうございます。
これからもayUtokiOの活動を楽しみにしています!!
選曲
あさがお
米農家の娘だから
大ばか
夜を照らせ
一人暮らし
※猪爪追加
電話 (内村イタル and MUSASAVIBAND)
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イタルくんとは彼が19歳になったばかりの頃に、アーティストのマネージャーをしていた知人の方からの紹介で出会いました。
まず、このマネージャーさんにもとても感謝しています。
自分のことをayU tokiO以前から気にかけてくれていて(本当に何者でもなかった頃)、いきなりライブを見に来てくれたり、ayU tokiOを始めてからもすぐにライブを見に来てくれて「あゆくん、もっと歌がんばらなきゃダメだよ!」と言って去って行ったり。(これは「え、、」と思いましたが。)
感謝です。
そしてイタルくんの「プロデューサー」をお願いされるのですが、これが自分にとっての初めてのプロデュース仕事となりました。
端的に言って「きちんとしたバンドをやったことのない若い子に『バンド』のやり方を教えつつ、一緒に作品を作ってほしい」というものでした。
これは、とても難しいことです。
もちろん、嘘っぽいバンドを組まされるソロのミュージシャンのカッコ悪さの様にはしたくないし、かといってどうしたって構造的に避けては通れなさそうな[とってつけた感]との隣り合わせ。
これをどうやって無くしてくか など色々考えながらやってたと思います。
当時の自分は27歳でしたが、27歳は今思ってもまぁまぁ子供だと思います。むずいです。
僕がバンドのメンバーに選んだのは当時ayU tokiOのメンバーとしても一緒に行動していたツナくん(dr)とjappersというバンドのベーシストだった上野くん(ba)。上野くんはその後yogee new wavesに加入し、今はイラストレーターとして活動をしている様です。
そして、イタルくんの幼馴染であった永井くん(key)が参加してくれました。
兎にも角にもそんな感じでイタルくんとの関係がスタートし、彼とこのバンド「musasavi band」でしばらくの間活動を共にしました。
大阪に車でライブしに行ったら、大阪に着いた瞬間に台風かなんかでイベントが中止になったと連絡を受け(というか、車中のラジオで知った気がする)、なんかその辺ぶらぶらして帰ったのとか懐かしい思い出です。行き帰りの車の運転がかなりしんどかったよ。ツナくんが割と優しめの声をかけてくれたりして「こいつ良いな」って思いました。
1作品ミニアルバムを作ってほどなくしてイタルくんはマネージャーさんの元を離れてしまいましたが(それと共にチームも一旦解散)、その後もイタルくんの活動状況など聞いたり、自分にとって初めてできた弟分の様な存在で、今もずっと大事に思っている子です。
その後イタルくんはバンドを組むんですが、この名が「ゆうらん船」になる前にライブを見に行った時、すごく良いメンバーを自分自身で集めて活動を始めたイタルくんを見てすごく誇らしい気持ちになったことをとてもよく覚えてます。
いっちゃんと永井くんのツインキーボードの未来のバンドコンセプトを熱弁した最初の日のイメージが形になっていく様は、自分のことの様に愉快でした。
COMPLEXとしてはまず、「やなぎさわまちことまちこの恐竜」のメンバーとしてギターで参加してもらったりしました。これは、かなり懐かしい。
特典音源として「まちこの恐竜ver」の音源を録音して放出してるので探して聞いてみてほしいです。あれはなかなか良い出来です!!
その後「ゆうらん船のカセットテープをリリースしたい」という願いを受けて2作品のリリースをしましたが、これに関して僕はレコーディングなどで手伝ったくらいの感じで、製造は全て彼らの自費によるものでした。
「収支を知って(主にカセットの)リリースの険しさとありがたみを知ってほしい」という兄貴分としての愛情を理解してもらえたら嬉しいし、多分わかってくれるだろうと思いました。(僕は悪いことしてないんだと思うけど、大変だと分かってることを提案するのは心が痛いものでした。)
そして、しばらくして先日、イタルくんからゆうらん船のセカンドアルバムを「またカセットでCOMPLEXからリリースしたい」という3度目の願いを受けて、やっぱりあんまり分かってないかもしれないと思いつつもイタルくんのお願いは断れないので、今度は少し進んだフォーメーションを組んでまたリリースにトライしましたが、この時の余裕の売れっぷりを見て、放った稚魚(もじゃこ)が立派なブリとなって還ってくる喜びに似た感動がありました。イタルくん、良い感じです。
それにしても、19歳の人からしたらマネージャーに連れてこられていきなり現れた27歳の人ってどんな風に見えたんですかね。
まぁさ。みんな成長してすっかり子供じゃなくなってしまって、少し寂しいけど、そういうのもなんか良いよね。
暇が出来たらまた一緒に音楽やろうね。ずっと待ってるよ。
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