『大・シーサー博』って何だったの 1(前)
COMPLEX & 永原真夏 presents.『大・シーサー博』
とは、
音楽レーベルCOMPLEXとファンシー界のロックスター永原真夏が織りなす、
[トロピカル]や[ファンシー] に対する緩やかな憧憬を、沖縄のキャッチーアイコン『シーサー』に乗せ、南国風に大展開する、ピュアな気持ちで臨むイベント🏝
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今年のゴールデンウィークに行ったこちらのイベント。
COMPLEXレーベルのメンバーにも共催者のまなっちゃんにも具体的な説明は大してせずにやってきました。すみません。🙏
年々、僕たちは説明くさくなってきてる気がします。
解明を捗らせる便利なツールも増えたり、説明が必要とされたり、そんな風潮も感じるけど、一番はシンプルに僕ら自身の加齢によるものが大きいのかなと思います。
年取ると複雑です。
簡単なことをややこしくするのも当たり前にダサ過ぎるので良くないけど、
複雑化していく感情をややこしく説明するのもよくないし面倒臭いし誤解が危ない。
かといって複雑なものを、無理にシンプルにしていくのも見せていくのも全然楽しくない。
いろいろ良くない。
というわけで、内容は盛りつつも敢えてテキストでの説明を出来る限り避けつつ、和やかな雰囲気で乗り越えていこう。
というのがこのイベントをやる上での僕の中での気持ちの面でのアイデアでした。
が、
秋になりましたし、来週はライブがありますので、
今日は自分なりにこのイベントをやるにあたって持っていた気持ちを少し話してみようと思います。
「大・シーサー博」のアイデアが生まれたのは昨年末のこと。
まず、その頃の僕の気分・気持ちの話から。
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1
snsのことを考えてました。いつも考えてます。
何事も本音と建前の使い分けが大事。あと場所もタイミングも大事。
これだけですでに難しすぎる。
難しすぎて、公私の境界線は緩やかに混ざり合っている。
自分がまさにそうです。
見る限り、大体の人がそんな感じだと思います。
それもどうかと思う。
そして、snsの上には本音か建前か良くわからないような、なぜか「正しい」事ばかりがいっぱい存在してて、何か変だ。欲しいのは気持ちではなく、鍵となる情報。そういう「言葉」。
何かや誰かや自分を守る為のはずの言葉で、良い時も悪い時もこんなにも不愉快な気持ちになるのは奇妙だと思う。何かおかしい。
この先もしばらくそんな感じなんだろうと思う。
とにかく、スマホの画面をスクロールしていて、疲れる。
何かの認知度を広げる為の大小あらゆる報せにも、生活を少し良くする為のアイデアにも、ちょっとだけ面白いどこかの誰かのピュアで無償なエンターテイメントにも、言葉は飽きた。
そんな中に紛れると、昔から知っている大事だったはずの友達の言葉を、単語を、文字を、
疑ってしまう。
こんなに悲しいことはない。
もしかしたら誰かにとっては僕の言葉の方だって記号の様に思えているかもしれない。
それはとても悲しくて、寂しいことだ。
けど、考えても仕方のないことだ。
ーそんなことを考えてました。
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2
歌詞の事を考えてました。いつも考えてます。
言葉には「意味」の他に「意味以外の気持ち」とか、そんな感じのものが乗せられるスペースがあると思う。
その人らしい情感と重なって、やっとコミュニケーションの道具として言葉は完成するんじゃないかと思う。
そう思っていた。今もそう思う。
当然、言葉って全部が同じ意味ではない。
忘れそうになる。忘れたらいけない。
忘れてしまったら、きっとその先のコミュニケーションが成立しない。
たくさん並んだ信憑性あり気な言葉を疑うことは大変だ。そんなに向き合ってる時間も無い。
だんだん文字の情報に、感情らしいものがなかなか乗らなくなってきた。
読んでも乗らない、書いても乗せられない。
言葉が文字にだけ見えるなら、それは情報のための記号なんだろう。
言葉を忘れてなくたって、コミュニケーションは随分痩せてしまった様に思う。
ーそんなことを考えてました。
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3
snsのことを考えてました。
情感は曖昧なもので良いです。
情報は確かなものが良いです。
コミュニケーションは楽しくて好きです。
情報も、楽しいから好きです。
snsでの受信をなんだかんだ楽しんできましたが、
使い方を考えてみようと思いました。
興味の湧いた発信に対して、メッセージを送ってみます。
「気軽に繋がる気でいる」っていうのとはちょっと違うと理解して欲しいです。
似ている様で、そういうのは一番ダメなんです。
数年会ってない友達や知人の様子を日々画面越しに眺めてるけど、
実は、心は遠いのかもしれない。
ーそんな事を考えてました。
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4
歌詞の事を考えてました。
僕は作曲も編曲も演奏も録音も好きだけど、作詞が一番好き。
歌詞としては、言葉の持つ情報の以上に何かを乗せて、伝えたい。
情感。気持ちや気分。
言葉だけのコミュニケーションよりも、歌詞に載せた方がちゃんと出来ると思う。
きっとメロディやリズムや音色、音楽に縛られているからこそ素直な感情の乗った言葉が引き出されるんだろう。
僕は歌詞が好き。歌詞を書くのが好きなのは、僕なりに人とのやり取りが好きってことなんだと思っている。
歌詞では気持ちを伝えたいし、伝わりたい。知恵や情報はその次。
結果や結論よりも、途中の話が面白いと感じるのと似ている。
ーそんな事を考えてました。
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5
去年末の頃は、10年やってきたayU tokiOの活動を振り返り、今の自分の気持ちを考えてました。
うまくいったりいかなかったり、まだ音楽やってる。
そもそも、どれがうまくて、どれがうまくないの?
結果や結論を求める自分だってもちろん、いる。
大人しく、やっている。
納得させてみても最後にはやっぱりさみしい。
逆に、大人だからこそ好きなことはちゃんとやらないといけないとも思う。
音楽と友達と和やかに暮らしていくためには。
改めて初心に立ち帰るつもりになって、COMPLEXという場所について考えました。
まなっちゃん(永原真夏)が沖縄に行って、シーサーらしいものを作ってインスタグラムに写真を載せているのを見かけました。まなっちゃんはマイペースさに拍車がかかっている気がする。
そのシーサーの容姿は言葉で説明しづらい絶妙なバランスで、なんか良いなと思いました。
すぐに声をかけて、「大・シーサー博」のタイトルだけを決めて彼女に会いに行きました。
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